月のはなし

image of Full Moon

本項ではこれ迄とは少し視点を変えて、 「かぐや」の目指す「月」なる天体その物の事を少し考察してみましょう。 天文学、宇宙科学的な考察はもっと専門的なサイト様にお任せするとして(汗 ここでは少々違った文化的な側面から、 この一番身近で摩訶不思議な天体を眺めてみたいと思います。 尚この頁、当方のおぼろげな記憶を掘り起こしつつ、 改めて調べ直しながら何とかかんとか書き上げて居りますので、 内容についてはかなり怪しげな物である事を予めお断りして置きます…ご利用は自己責任でお願い致します…。
※本頁は閲覧環境によっては正確に表示されない文字を多数含んでおります。 予め御了承頂けます様御願い致します。

そもそも「月」って・・・?

月と言うものは兎に角あまりに身近な天体なので、改めて色々考えてみる機会が却って少ないかも知れません。 そこで復習の意味も込めて先ずは基本的なデータから見て行きましょう。

事典等で「月」の項を紐解いてみると・・・

試みに「広辞苑」で「月」の項目を見てみますと、

  1. 地球の衛星。
  2. 衛星。「木星の―」
  3. 月の光。
  4. 暦の上で一年を一二に区分した一。

(以下略)

等とあります。

普通「月」と言えば地球の衛星である月を差しますが、 2)にもある様に衛星一般の事を「月」と呼ぶ場合もあり、 特に地球の衛星の事を「地球の月」(Earth's Moon)等と言ったりします。 勿論、本稿に於いては特に断わりの無い限り、 単に「月」と言った場合、「地球の月」を差します。

Supersize You!

「地球の月」の赤道の直径は 約3,474km、質量は 7.347673 × 1022kg、 表面上の引力は地球の約 1/6 程度です。 これは、地球と比べると確かに小さいのですが、月に何かの物体を送り込んで更に帰還させるとなると、実はかなり大変である事が想像出来ます。 何しろ今の段階では、それを成し遂げるには還りの分の燃料その他もそっくり持って行かなければならないのです。 殊に生き物 ― 中でも人間 ― であれば生命維持の為、大量の酸素や水、食料なども必要です。 アポロ宇宙船を打ち上げた「Saturn V」ロケットの巨大さを思い出して頂ければ、容易にその困難の大きさを想像出来るのではないでしょうか?

月の理論上の衛星速度(第一宇宙速度)はおよそ 1.68 km/s で、 これは地球上のマッハ 5 弱程度に相当する速度です。 如何に月に大気が無いとはいえ、0 からこの速度迄加速するのは矢張りかなりの大仕事である事でしょう。 更に月周回軌道を離脱する為には(第二宇宙速度) 2.38 km/s に迄加速しなければなりません。

斯くの如く、是程身近な「地球の月」ですが、実はトンでも無い天体なのです。

この「地球の月」の驚くべき大きさは、太陽系最大の惑星である木星の衛星「イオ」にも匹敵する大きさであり、 同じく木星を回っている太陽系最大の衛星「ガニメデ」ですら「地球の月」の1.5倍程度(5,262km)なのです。 太陽系惑星の衛星の内、母星に対する比率では圧倒的な大きさであり、 冥王星が「惑星」の座から滑り落ちてからは(以前は冥王星の衛星「カロン」を除けば、等と但し書きが付いていました) 文句ナシの「太陽系一」となりました。 一体全体何故に、選りによってこの地球にこれ程の巨大衛星が存在するのでしょう?! 実にこの異常とも言うべき月の大きさが、我が地球に変化に富む環境を生み出し、様々な恵を齎してくれているのです。 正に「神の悪戯」と言うべきでしょうか・・・。

月の運動

fig. 5.1.3-1 恒星月と朔望月(Flash)

月は地球との中心距離約 384,400km の軌道を約 27.3日の周期で周回しています(恒星月)。 また月にはご存知の通り、地上から見ると所謂「満ち欠け(朔望)」と呼ばれる見た目(即ち影になる部分の大きさ)の変化がありますが、 この周期(新月から次の新月までの期間)は約29日となっています(朔望月)。 何故この様な周期のズレがあるのかと言えば、 月の母星である地球自体が太陽に対して動いているからに他なりません。 これは、地球の自転周期(23h56m04s)と1太陽日(24h)とが同じでは無い理由と良く似ています。 また月の公転軌道は、ほぼ真円に近い楕円(略円)ですが、 地球及び太陽との位置関係によって微妙にその形(離心率)を変えているのだそうです(例えば地球より太陽に近い側に居るとより一層太陽の引力の影響を受ける)。 その故に、厳密に言えば月の公転周期は一定では無く微妙に変化している、 と云う事で、その点は地球やその他の惑星も同様の事が起きて居るのですが、 兎に角、実際には月(も含めた惑星)と言うヤツは本稿ではとてもフォローし切れない程、 複雑な運動をして居るのだ、と言う事で一先ずご理解下さい(汗。

the Earth System

fig. 5.1.3-2 地球中心に見た「黄道」と「白道」

太陽の(地上から見た見かけの)通り道を「黄道」と言うのに対し、 月の通り道(=地球を回る公転軌道)の事を「白道」と呼びます。 白道面は黄道面に対して5°程傾いており、 両者の2箇所ある交点を「昇交点」「降交点」と呼びます。 fig. 5.1.3-2 では、A が「昇交点」、B が「降交点」です。 ご存知の様に黄道面は赤道面に対して 23° 程傾いて居ますので、 白道面は(地球の)赤道面に対して18〜28° 傾斜している事になります。 満月の時、月がこの交点を通過すると「月食」が起き、 新月の時なら「日食」となります。 例えば、左図の位置に太陽がある時、月が A 付近にあれば「日食」、 B 付近にあれば「月食」が起きます。 もし黄道面と白道面が完全に平行であれば、満月の度に月食が、新月(朔)の度に日食がそれぞれ常に起きている事でしょう。

こっちを向いてよ!

経度の秤動のイメージ

fig. 5.1.4-1 「ケプラーの第二法則」と経度の秤動。 (この図は軌道の離心率をかなり誇張して居ます) 月の1/8周期毎の位置及び姿勢(向き)を示す。 白線で区切られた軌道面の面積は全て同じ。

月の自転周期は公転周期と同じく約 27.3日で、 この故に常に地球に対してほぼ同じ面を向けています。 但し、厳密には地球から見ると若干「顔」を上下左右に振る様な運動をして居り、 この様な動きを「秤動」と言います。 「秤動」は、動く方向に拠って「緯度秤動」及び「経度秤動」に、 起こる要因に拠って「光学(幾何学)的秤動」及び「物理的秤動」に分けられます。

光学(幾何学)的秤動は地球(上の観測者)と月との位置関係等に因って起きます。 「経度秤動」は、主に月の公転軌道が厳密には楕円である事に起因します。 即ち、月は公転軌道上を遠地点から近地点へ移動する際には加速、 近地点から遠地点へ移動する際には減速を繰り返して居り(ケプラーの第二法則)、 その度に自転速度との間に若干のズレが生じている訳です。 「緯度の秤動」が起きる第一要因は月の自転軸が白道の極(公転軸)に対して傾斜している事です。 例えて言えば、地球に夏と冬があるのと同じ様な要因です。 太陽から見れば、恐らく地球は回転が落ちてきて「味噌擂り」運動をするコマの様に見える事でしょう。 月の場合ほぼ同じ面を地球に向けていますので、「緯度秤動」は、縦…と言うより「あ〜疲れた」と首をグルグル回す感じ(?)に見えるという訳です。

緯度の秤動のイメージ

fig. 5.1.4-2 緯度の秤動 (クリックで拡大) この図では「経度の秤動」は考慮して居りません

「物理的秤動」は、地球(や位置関係によっては太陽)の重力の作用に因り起きる現象です。 月は一見きれいな真球の様にも見えますが、 厳密には3軸の長さが全て違う歪な楕円球をして居り、 その内の最長軸を地球の方向に向けていますが、 「経度の秤動」によって重力中心とは若干のズレが生じる場合があります。 そこで、それが地球の重力中心へと向かう方向に重力が作用する事で「物理的秤動」が起きる訳です。 この「物理的秤動」による角度の変化は最大でも3°程度との事で、 その他の要因に因る「秤動」程には目立たない様です。

事典等で「月」の項目に載っているのはザッとこんな所でしょうか。 無論これらは現在人類が知り得る所の月の情報のホンの一部に過ぎませんが、 ちょっと調べるだけでも、月には沢山の不思議が溢ているのです。 現在月軌道上で活躍中の「かぐや」は、我々に更なる月に関する知識を齎してくれる事でしょう。

斯くの如く地上から見た月は、夜空に一際大きく、美しく輝き、兎に角複雑な運動をし、 変化に富んだ様々な表情を見せてくれる、実に不思議な魅力ある天体です。 それこそが皆さん十分ご承知の通り物質的にも精神的にも人類の文化に大きな影響を与えて来た所以でしょう。

「時間の単位」としての月

月は洋の東西を問わず、太古より人々の暮らしに欠かせぬ存在で在りました。 日々の暮らしに於ける月の役割と言って先ず第一に思い浮かぶのは、 矢張り「時間の単位」としての「月」でしょう。

「1年」と「1日」の間

即ち太陽の日周運動に於ける一周期である「1日」と、 年周運動の一周期である「1年」の中間の単位としての「月」であります。

古代世界では太陰暦を使用していた社会が多かった様ですが、 これは明らかに「一ヶ月」と云う時間の単位が月の運動に由来するからでしょう。 月の運動は地上の自然現象等とも関連が深く、殊に漁業等では収入に直接影響を及ぼす物なのですから、 それも至極当然の事と納得が行きます。

但し、それでも「一年」の方は太陽の年周運動を基準としている場合が多く、 実際には完全な「純太陰暦」を使用していた社会は稀な様で、 1太陽年を1年として朔望月と組み合わせた「太陰太陽暦」が多く用いられた様です。

純太陰暦

「純太陰暦」の代表格と言えば、真っ先に「イスラーム(ヒジュラ)暦」が思い浮かぶでしょう。 これは先ず「1年」を「12ヶ月」に分け「1ヶ月」を交互に30日(大の月)と 29日(小の月)とします。 朔望月は平均 29.530589 日ですので、これだけでもかなり月の朔望に忠実な暦が出来そうです。 無論、朔望月がカッキリ 29.5 日 丁度で無い以上、このままでは当然暦と実際の月の運動との間にズレが生じますので、 30年に11回の閏年を設ける事によって、そのズレを解消します。 具体的には、ヒジュラ紀元年を30で割った余りが 2、5、7、10、13、16、18、21、24、26、29となる年の第12月を 30日 とするのです。 これにより、イスラーム暦の30年は

(354 × 30) + 11 = 10631[日]

となり、実際の朔望月の30年分の日数

29.530589 × 12 × 30 = 10631.012[日]

との誤差は 0.012日 ≈ 17分強 程度です。 実に良く出来ているものです。

純太陰暦の1年は太陽年よりも約11日短いので、当然月と季節の関係にズレが生じて来ます。 即ち 1月=冬、8月=夏 と云った関係が成り立たなくなるわけです。 イスラーム暦が純太陰暦なのは、イスラームが成立したアラビアの地が1年を通じて温暖な、 即ち四季の違いがそれほど明確では無い気候である事が影響しているのでしょうね。 因みにイスラーム暦では1ヶ月の始まりは「朔」では無く、 「朔」の後最初に西の空低く細い「新月」が見えた時なのだそうで(嘗ては我が国に於いても同様であったそうです)、 成る程、「赤新月社」(欧米の赤十字に相当)やイスラーム国の国旗等でも良く見られる「三日月」の意匠にはその様な意味があったかと納得させられる話です。

所謂「旧暦」の事

太陰太陽暦の代表例として、ここでは我が国の所謂「旧暦」について考察してみましょう。 普通「旧暦」と云えば、明治の改暦迄使われていた「天保暦」を指します。

そもそも太陽の見かけ上の運動(即ち地球の公転運動)と月の運動との間には殆ど因果関係が有りませんので、 太陽年と朔望月との間には、特に都合の良い関係が成り立っている訳ではありません。 1太陽年を12の月に分ける、と言う発想も、偶々「『1太陽年』がほぼ『12朔望月』に近いから」に過ぎ無いでしょう。 よく知られている様に、一応「19 太陽年は 235朔望月に等しい」(発見者の名を取って「メトン周期」と呼ばれています)という関係が成り立って居ますが、 どの道、太陽年は朔望月で割り切れませんので、太陰太陽暦では1太陽年と12朔望月との誤差を何某かの方法によって補正する必要があります。 即ち「置潤法」にヒト工夫加えるワケです。

先程触れた通り12朔望月は1太陽年より約11日短いので、 大雑把に言って3年で1ヶ月強のズレが生じる勘定になります。 ですから先ず3年に1ヶ月の閏月を挿入する事が思い浮かびます。 もう少し詳細に見てみますと、 1朔望月は29.530589 日ですから、 1太陽年と12朔望月の差は

365 − (29.530589 × 12) = 10.632932[日]

従って1年あたりのズレ(太陽年に対して朔望月が先に進む)は

10.632932 / 29.530589 = 1 / 2.7772762... [月]

即ち、2.777... 年に1回の割合で閏月を挿入すれば、 かなり正確な太陰太陽暦が出来そうです。 勿論そんな事は不可能なので、これに出来る限り近い「近似値」を求める事になります。

先程の「メトン周期」を見てみると 12 × 19 = 228ヶ月ですから、 朔望月は太陽暦に対して19年で7ヶ月進む事になり、従って置閏周期は 1 / 2.7142...となり 1 / 3 より一層の近似値となっている事がわかります。

天保暦

二十四節気と黄経の 対応図(地球中心)

fig. 5.2.3-1 地球から見た二十四節気と黄経の対応図(クリックで拡大)

二十四節気と地球−太陽の位置関係対応図(太陽中心)

fig. 5.2.3-2 節気と地球−太陽の位置関係(クリックで拡大)

それでは我が国の「旧暦」である天保暦の置閏法はどうなっていたのでしょうか? 我が国では、天保暦に至るまで春秋戦国時代に始まると云う「二十四節気」の概念を利用して季節のズレを修正する暦法を取ってきました。 これは1太陽年をある手法で24分割して12の中気(春分、夏至、秋分、冬至、等)と節気(立春、立夏、立秋、立冬、等)に分けます。 天保暦以前の暦法では、この手法として日数で均等に分割する「正気法」が用いられましたが、 天保暦では太陽の黄経で分ける「定気法」が採用されました。 自然の摂理である暦の事は自然の摂理に従って決めるのが一番、と言う発想なのでしょうか。 天保暦は、太陰太陽暦としては最も完成された物の一つであるとも言われますが、 複雑であるが故の難解さ、不便さも同時に持ち合わせて居る様です。 (その辺りに付いては又後程)

二十四節気による太陰太陽暦では、その月が何月であるかは含まれる中気によって決まります。 即ち冬至を含む月は11月、春分を含めばその月は2月、夏至を含む月は5月、秋分を含めばその月は8月、と云った具合です。 これは、言葉で説明するよりも図を御覧頂けば、一発で御理解頂けると思います。 fig. 5.2.3-3 に平成20年、fig. 5.2.3-4 に平成21年の新暦、旧暦、及び節気の対応表を示します。 但し、これらは現代の日本標準時を基にした所謂「旧暦」で、 実際江戸時代に使用された暦その物では無い事に御留意下さい。

平成20年 新暦-旧暦対 応表

fig. 5.2.3-3 平成20年 新暦-旧暦対照表(クリックで拡大)

平成21年 新暦-旧暦対 応表

fig. 5.2.3-4 平成21年 新暦-旧暦対照表(クリックで拡大)

先ず平成20年の暦を御覧下さい。 二十四節気に基づく暦では、立春付近の朔日(ついたち)が、元日となります。 平成20年は新暦の2月7日が元日です。 次の朔は新暦の3月8日で、この日が2月の始まりとなります。 そして次の朔日である4月6日には3月、5月5日には4月…と言う具合に、平成20年は恙無く過ぎて行きます。

では次に平成21年の暦に、移りましょう。 平成21年は新暦の1月26日が元日です。 旧暦の2月、3月、4月…と来て5月とその次の月に注目して下さい。 新暦5/24〜6/22の月は5月の中気である「夏至」(6/21)を含んでいますので当然5月となりますが、 次の中気である「大暑」は新暦7月23日であり、 6/23〜7/21の月は中気を含んで居ませんので、◯月と決める事が出来ないのです。 そこで、この月は「閏5月」とされます。 斯くして平成21年は、13ヶ月の「閏年」となったのでした。 但し、中気を含まない月が必ず「閏月」になるとは限りません(この辺りに付いても後述)。

「天保暦」ってどうよ?

定気法では太陽の黄経で節気を決めますので、 再三その名の上がるケプラーの第二法則、その他の要因により節気間の長さは一定ではありません。 近日点付近(1月上旬)と遠日点付近(7月上旬)では凡そ1日違います。 日付の上では14日しか無い事すらあるのです(例えば平成21年の「立春」、「雨水」間)。 その故に旧暦では、極稀れではありますが、中気を含まない月が年に2つ以上あったり、 逆に中気が2つある月が出て来たり、といった事態が起こり得るのです。 前者については天保暦が採用されて以来今日まで前例が無い様ですが、 後者については江戸時代に実際に起こって居る様です。 未来について言えば、近い所ではこれらが一気に押し寄せてくる「旧暦2033年問題」が有名です(コンピュータの「2038年問題」他、 どうも2030年代はこの種の「年問題」の当たり年代の様ですね。 尚、Wikipediaの「旧暦2033年問題」の項目には、これらについてかなり詳しく書かれて居りますので、 興味のある方は御一読をお薦め致します。)

また、前掲の新暦旧暦対照図(fig. 5.2.3-2、fig. 5.2.3-3)を御覧頂くと直に判る様に、 旧暦では「月」は本当に月の朔望で決めていますので、 「大の月」と「小の月」が必ずしも交互にやって来るとは限らないのです。 現在使用されているグレゴリオ暦では、 恣意的な日数の不均衡も継承されているとは言え、基本的に◯月は◯日間と決まっています。 然し「天保暦」では◯月が何日間あるのかは暦が発表される迄判らないのです…! もし現代社会でその様な事が起きたなら、何かと不都合が多い事でしょう。 然も江戸時代は不定時法でしたから、当時の人達は一体全体どんな風に日々を暮らし、 どんな1日を送っていたのか…現代人にはちょっと想像が付きませんネ。 この様に、理論的にはある種の「美しさ」すら感じられる「天保暦」ではありますが、 とても現代社会にマッチした暦法であるとは言い難い代物であるのも確かです。 明治の改暦は矢張り歴史の必然であったのでしょう。

「神」としての月

夜空に一際明るく大きく輝く天体である月は、 しばしば「神」として敬愛と畏怖の対象でもありました。

陰と陽

ギリシャ神話の太陽神、月神の系譜
                              ウーラノス ─┬─ ゲー(ガイア)
                                           │
       ┬───────┬─────┬───┴───┬──────┬──────┬
       │              │          │              │            │            │
ヒュペリオーン ─┬─ テイアー   コイオス ─┬─ ポイベー    クロノス ─┬─ レイアー
                 │                         │                          │
           ┬──┴──┬                 ─┴──┬              ┬──┴──┬
           │          │                         │              │          │
      ヘーリオス    セレーネー                  レートー ─┬─ ゼウス ── ヘーラ
                                                           │
                                                     ┌──┴──┐
                                                     │          │
                                              アポッローン    アルテミス

「太陽」に対して一名「太陰」とも呼ばれる様に、 「神」としての月は「神」としての太陽と対をなす場合が殆どの様です。 これは太陽と月の見た目の大きさがほぼ同じで、 昼を照らす太陽に対し夜を照らす月と言う関係(尤も月は昼出て来る事もありますが)からも納得が行きます。 ギリシャ神話に於いては太陽神「へーリオス」(G. Ἥλιος)には月神「セレーネー」(G. Σελήνη)、 また「アポローン」(G. Ἀπόλλων)に対してその妹(時に双子とも)「アルテミス」(G. Ἄρτεμις)がこの例に当たります。 何故月神と日神が2柱(ギリシャの神様もこう数えるんでしょうか?)づつも居るんだろう?と疑問に思えますが、 アポローンやアルテミスは元々ギリシャ固有の神様では無いらしく、 ギリシャの異民族征服の過程で取り込まれて行ったのだろう、との事です。 因みに神話の系譜では、ヘーリオス、セレーネーはティーターン族 ―ウーラノス(天)とゲー(大地)の子達の子孫― で、アポローン、アルテミスはオリュムポス十二神 ―ゼウスの子ら― です。 我が国に於いて日神、月神と言うと、天照大皇神と月読命(ツクヨミ、月夜見尊等とも表記される)が相当するでしょう。

男の子女の子 ?!

ここで「おや?」と思うのは、ギリシャ(当然ローマも同様ですが)では太陽神が男神で月神が女神であるのに対し、 我が国の太陽神、月神の場合はそれが逆になっている、と言う事では無いでしょうか? 大体太陽神、月神は男女の対を成している事が多いですが、 どちらが男神でどちらが女神であるかは所により様々な様です。 ギリシャ神話の影響か、どうも一般に「月神」というと「女神」のイメージがあるのですが(筆者だけ?)、実際にはどちらが多いのでしょう? 同じ「ヨーロッパ」でもゲルマン(北欧)神話では(神様そのものでは無いのですが) ある男が自分の息子にマーニ(月)娘にソール(太陽)と名付けたところ、 神々は怒り二人を捕らえそれぞれ月と太陽を引く馬車の御車をさせた、という話があるそうで、 それに対応するようにドイツ語ではmond(月)は男性、sonne(太陽)は女性、 また古英語でもmōna(月)は男性、sunne(太陽)は女性となっています。

君の名は

ところで、英語で「月」を何と言うでしょう? 等と聞かれたら大方の人は「moon!」と答える事でしょう。 中には「month」と答える方も、少しは居らっしゃるかも知れません。 では「月周回衛星」は?…え〜と、そう「Lunar Orbiter」でしたね! で、「月着陸船」なら「Lunar Lander」となるワケです。 そう言えば、「かぐや」のコード名「SELENE」の由来は Selenological Engineering Exploler でありました。 一応これらは全て「英語」の筈ですが、何故同じ物を指す言葉が是程多数あるのでしょう?

言うまでも無く、Lunar はラテン語の Luna に、Selenelogy はギリシャ語の Σελήνη に由来します。 翻って我が国では如何かと言えば、「月」は「つき」とも読めば「がつ」「げつ」等とも読みますし、 それ以外に先程挙げた如く「太陰」等とも呼ばれます。 例えば「地球の衛星が発する(様に見える)光」の事を「やまとことば」で「つきのひかり」と言ったら、 何だか「やわらかい」と言うか「やさしい」と言うか、何と無く柔和であると同時にどちらかと言えば「低俗」(と言うと語弊があるかも知れませんが)、「幼稚等」と言った感じを受けるのに対し、 同じ物を「漢語(音読み)」で「月光(げっこう)」等と呼ぶと、先程とは対照的に何だか「勇ましい」と言うか「カッコイイ」と言うかちょっと「エラそう」な、少し「厳つい」様な感じがする気がします。

恐らく英米人にとっての「Moon」と「Lunar」や「Selenology」等の関係も同じ様な物では無いでしょうか? 現に近代になって作られた学術、技術用語の多く(殆ど、と言っても過言では無いでしょう)が、 我が国に於いては「(和製)漢語」である如く、 英米で作られたそれらの大多数がギリシャ、ラテン語に基づいて居ります。(e.g. L. video, audio / G. photograph, phonogram, etc...

さて、先に少し触れた様に、日本語で「月」と言えば「地球の衛星」の事でもあり、 また「1年」を(ほぼ)12等分した「時間の単位」でもあります。 英語の「Moon」と「Month」も何某かの関係が有りそうだと直感的に解ります。 では(古代)ギリシャ語やラテン語で、時間の単位としての「月」の事を何と言うかというと、 G. μήν であり L. mensis です。 これらは寧ろ moon や mond 等とは関係ありそうですが、
ΣελήνηLuna とはどう考えても関係無さそうです。 これは一体どう云う事なのでしょうか?

月の「魔力」?!

実は、ギリシャ語では元々夜空を照らすお月さんの事を μήνη と言っていたらしいのです。 それが或る理由から別の言葉 ―明らかにσέλας(光、輝き)に由来する― σελήνη に置き換えられた、と云う事らしいのです。 ラテン語でも同様の事が ―こちらは明らかに lux(光)に由来する筈です― 起きたのですが、こちらでは本来の名称は最早判ら無くなってしまった様です(恐らく比較言語学的な手法で復元されているのでしょうが、残念ながら当方は未確認です)。

繰り返しになりますが、月は夜空にあって一際大きく輝き地上を薄明るく照らす、言わば「闇の世界の支配者」で、 そればかりか、日々目に見えてその軌道や姿を目まぐるしく変え、しかも潮の干満等の地上の現象を支配するのです・・・潮汐現象と月の運動に何か関係が有るらしい事は古代人でも経験的に解っていた筈ですから、 そんな「月」と云う存在は、彼等にとって有り難いと同時にまた何とも得体の知れぬ不気味な、恐ろしい物で在ったに違いありません。

そこで人類は月をある種の不可侵な物と捉え、それに触れることを禁忌(タブー)とした、と云うのです。 この様な思想は L. Lunaticus(E. Lunatics また moonstruck とも)等という言葉にも表れています。 即ち月には人を惑わせ、狂わせる「魔力」の様な物が有ると考えられたのです。

この様に畏れ多い、或いは忌むべき、口にするのが憚られる様な存在を、別の無害な言葉で置き換える行為は今日でも日常的に良く行なわれて居ます。 例えば(例えが尾篭で恐縮なのですが、他に良い例が思い浮かばなかった物で…)「糞尿」を指して「大便」「小便」等と称します。 本来「便」には「糞尿」等という意味は無い筈なのですが、これらは体からの「便り」である、と言う事なのでしょう。 然し、その本来無害な言い換え言葉だった筈の「大便」、「小便」という言葉が当たり前の様に「糞尿」の意として使われる様になって来ると、 今度はそれ自体も禁忌の対象となって来るのです。今日、これらはしばしば「大きい方」「お通じ」、「小さい方」「お小水」等と言い換えられたりします。 同様に σελήνη という言葉も、「月」を表す言葉として十分浸透するに到ってそれ自体が禁忌の対象となって仕舞い、 その故に現代ギリシャ語では「月」の事を φεγγάρι (矢張り「光」の意味を持つ φέγγος に由来)と呼んでいるそうです。

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